はじめまして。これがブログの第一号の文章になるわけですね。H.M.です。
日本語教育の道にこれから進もうと考えていらっしゃる皆さんにできるだけ有用な情報をお伝えできるよう、がんばってまいります。
今回は基礎語彙を教える際の留意点についてエピソードを交えて紹介します。
日本語教師養成講座では、まず「初級の教え方」を習います。(「上級の教え方」を習った後で「初級の教え方」を習うことはありません。)入門期の学習者に教える項目の多くが基礎語彙です。
基礎語彙というのは使用頻度が高く、日常生活に必要で、他の言語でも同じようなことばがあり、長い歴史を通じて変化していないことばの集まりです。基本的な動詞もここに含まれますが、今日のエピソードは「行く」、「来る」、「帰る」です。
初級の学習者同士の会話を耳にしました。
学習者A「Bさん、私の家へ帰りませんか。」
学習者B「・・・?」
学習者C「それは『私の家へ行きませんか。』でしょ?」
AさんはBさんを「ウチに来ない?」と誘っているわけなのですが、ネイティブの自然な語感からすると「私の家へ来ませんか。」という表現になると考える方が多いのではないかと思います。どうして、このような選択ミスが生じるのでしょうか。
イメージでいうと「行く」は視界の前方の方に遠ざかるイメージで、「来る」は視界前方からこちらに向かって近づいてくるイメージですね。「帰る」は自分の家、国などに向かうということを入門期の学習者は教師に習います。
入門期の教科書の例文を見てみると以下のようなものが確認できます。
・昨日の午後スーパーへ行きました。
・電車で京都へ行きます。
・去年の9月に日本へ来ました。
・毎晩8時に家へ帰ります。
視点は「今、ここ」に限定されています。また、教科書は「日本国内にある教室」で使われることが前提になっているので、概ね「ここ=教室」の例文になっています。
入門期ではあまり膨大な情報を詰め込むのは無理であるし、非効率的なので、適当な情報量でよしとします。その情報量を超えたものは、もう少し上のレベルで適当な時期に教えるというスタンスを多くの教師が取っています。上記の例は「教科書の情報量を超えてしまった」例です。視点は「今、ここ」ではなく「自宅」にあるわけです。
このように基礎語彙の多くは「簡単そうに」見えますが、けっこう奥が深く、多義語(意味が複数あることば)も多いので、教える際に「今教える内容はここまでにとどめるが、この範囲を超えた用法もある」ということを意識して教えることが望ましいと思います。
私が日本語教師養成講座の受講者だったはるか昔、指導教師に言われたことばで締めくくりたいと思います。「日本人にとって簡単に見える日本語ほど、教えるのは難しい」。
H.M.