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せんせいのぶろぐ

平成27年度日本語教育能力検定試験が終わりました。

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カテゴリ:日本語教育

出題された問題を見ると、まず、文法など日本語ネイティブであれば理論を知らなくとも語感があれば答えられる問題の難易度が少し上がっています。わかりやすく言うと「分析して整理する」手順が必要な問題が増えたという印象です。

また「談話」についての出題が増しています。これはここ何年間かずっと続いている傾向で、ムーブ、フロア、隣接ペアといった用語もどんどん出てくるようになっています。

日本語教師仲間で話題になったのは試験1の問題14です。東南アジア諸国のうち、日本語学習者の多い、インドネシア、タイ、フィリピン、ベトナム、マレーシアの5か国の状況に関する問いが5題出題されているのですが、最後の問いが5か国のポップカルチャーに関するもので、正解はこれだと思うのですが、「インドネシアにAKB48関連グループ『JKT48』が結成されている。」まあ、マンガ、アニメ、アイドル等ポップカルチャーが日本語学習者増加の背景にあると認識していない受験者に対するショック問題なんでしょうね。

H.M.

文法の話4

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カテゴリ:日本語教育

これから日本語教師になろうという人のために書かれた文法書には前回までに述べたようなことが書かれています。

これをそのまま外国人学習者に伝えるのは難しすぎます。まして直接法の授業であれば、少なくとも中級以上でなければ理解できませんし、どのような授業の前後関係でこの項目を扱うかなどを考える必要があります。

私は基本的に以下のように扱っています。

学習者が宿題等で「は」と書くべきところを「が」と書いた、あるいはその反対であれば、赤で訂正を入れて返却します。その時に解説をしたり、質問を受けたりします。そういう時間を利用して、「は」と「が」の問題点すべてではなく、誤用を起こした項目に関わることのみを基本的に取り上げます。そうすれば、学習者の「なぜ」に答えることになり、モチベーションの高い状態で授業をきいてくれるということになるからです。

その時は専門用語を極力避け、状況をわかりやすく提示することが大切です。

 

ある時学生から質問がありました。教材の例文に「ドアの前にいる人はチンさんのお父さんです。」というのがあったのですが、「~人は~」と「~人が~」はどう違うかというものでした。まず、板書します。

     

  1. ドアの前にいる人はチンさんのお父さんです。
  2.  

  3. ドアの前にいる人がチンさんのお父さんです。

 

それから、学生たちに向かって質問します。「1と2が答えになる質問文を考えてみましょう。」

 

いろいろな答えが出てきます。正解はこれですね。

 

 Q1. ドアの前にいる人はだれですか?

 A1. ドアの前にいる人はチンさんのお父さんです。

 

 Q2. どの人がチンさんのお父さんですか?

 A2. ドアの前にいる人がチンさんのお父さんです。

 

H.M.

文法の話3

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カテゴリ:日本語教育

「は」は「主題を表す標識」です。主題にできるということは聞き手や読み手も知っているものでなければならず、相手が知らない固有名詞などにいきなりつけて、話を始めるということは基本的にできません。(一部小説などで、そういう始まり方をする唐突な導入部のものもありますが、一般的ではないです。)

疑問詞(「なに」、「だれ」、「いつ」等)につけられないのも同じ理由によります。格助詞のように名詞と述語との関係を示すものではないので、とりたてて述べたいことばであれば、名詞以外の品詞にも付きます。(「寒くない」、「ときどき起こる」等)

 

「が」は二種類あります。専門用語を使ってしまいますが、「中立叙述」と「総記」です。

典型的な中立叙述の用法は「今、ここ」で話し手がとらえた「新しい情報」です。

外に出て、「あ!雨降ってる!」。窓を開けて、「風冷たい!」というような使い方です。その他には従属節の中の主語など、「弟来たとき、私は記事を書いていた。」のような使い方です。

 

今、主語などと書きましたが、一部目的語にも「が」がつきます。一部の動詞(「わかる」、「できる」、「書ける」のような可能形)や形容動詞(「好き」、「嫌い」、「上手」、「下手」等)の目的語です。「ジョンさんは日本語わかる。」、「山田さんも日本酒好きだ。」のように。

 

さて、総記とさきほど書いた用法ですが、こちらはわかりやすく言うと「現在の文脈の上で出すべき答えを提示する」というものです。

 

「お客様の中で練馬からお越しの吉村様、いらっしゃいますか?」

「私吉村です。」

 

「どれいい?」

「これいい。」

 

今日はここまで。(また長くなってしまいました…)

 

H.M.

文法の話2

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カテゴリ:日本語教育

「は」と「が」とは何?

日本語教師でもやっていないと、こんなことは考えることもないでしょう。

「は」は副助詞(日本語教育では「とりたて助詞」という名称が参考書などで用いられることが多いです)、「が」は格助詞で、全く違うものなのですが、文の中で同じ位置に現れることが多いため、学習者の文にしばしば誤用が出現し、スポットライトが当たることになるわけです。

 

以下その例。

 

どれ答えですか。

あっ、雨降っていますよ。

経済の問題について私よくわかりません。

 

実は学習者の母語も誤用に関わってきます。

韓国語は日本語に近く、「は」と「が」に近いものがあるので(「は」相当のことばは対比の意味合いを持たないと使いにくいようです)、教師がこの文法事項を教えていなくても、誤用は目立ちません。しかし、英語や中国語はこれに相当することばがないので、誤用が目立ちやすく、「作文を書いたら、先生によく直されるけど、いったい何がどうなってるんだろ?」と思っている学習者も相当数おり、質問してくる場合もあります。

 

また、教材のタスクが誤用を引き起こす場合もあります。

 

下の   にことばを入れて文を完成させましょう。

 

私の国では                   が普通です。

 

学習者A:私の国では銀行が4時まで開いているのが普通です。

 

学習者B:私の国では外国人と付き合うのが普通です。

 

明らかにBさんの文は変ですよね。これは「~が普通です」を「~は普通です」と取り違えているのです。

Aさんは「私の国では何が普通なのか」と考えて、その答えを考えたのでしょう。しかしBさんは「私の国では~ことは普通である」の「~」の部分を考えて作成したのでしょう。

つまりBさんは「私の国では外国人とつきあうことはどうであるか」という問いに対して、「普通(珍しいことではない)です」と考えたというわけです。

今回はここまで。まだ続きます。

 

H.M.

文法の話1

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カテゴリ:日本語教育

日本語教師養成講座では様々なことを学びますが、「語学」という言葉から連想されやすいことばが「文法」ですね。日本語ネイティブは日本語教師にでもならないかぎり、生きていく上で、日本語文法など学ぶ機会はないでしょう。

母語というものは理屈を知らなくとも自動化されているので、基本的に文法を間違えることはありません。

 

しかし、外国人に教えるということになると、「分析して、ルールとしてまとめ、明示的に提示できるようにする」作業が必要です。

文法を教えるというのはこういう作業がついてまわります。そのために「日本語文法」を体系的に学ぶということになります。

 

ですから、文法を学んでおかないと「正しい」、「正しくない」ということは言えても、どこがどう間違っているのかというフィードバックができないということになります。

 

さて、日本語文法といっても様々な項目がありますが、解説を受けなくてもすぐ理解できる、あるいは日本語ネイティブであるということでわかる項目と、解説を聞いたり、読んだりしなければわかる人は稀という項目があります。

 

後者の例としては「は」と「が」の問題があります。(以下次回へ…)

 

H.M.

動かすか、動かさないか

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カテゴリ:日本語教育

赤門会日本語学校日本語教師養成講座420時間コースには選択科目というカテゴリーがあって、30時限以上の履修が義務付けられています。どんな科目があるかといいますと、日本の伝統文化に関わるもの、イベント参加、また外国語入門などがあります。外国語入門で今まで扱ってきたのは中国語、韓国語、ベトナム語、トルコ語、ロシア語です。この他にも開講可能となれば、さまざまな言語を紹介していきたいと思います。

外国語入門を開講する目的は二つあります。ひとつは「入り口程度でかまわない」から、受講者にさまざまな言語に触れてもらい、言語の多様さを実感してもらうこと。もう一つは「学習者の立場に身を置く」ことにより、学習者からみた日本語習得の実際(つまり、大変さですね)を仮体験してもらうことです。

 

先日受講者と中国語担当の先生のやりとりが耳に入ってきました。

受講者「巻き舌の音がなかなかできません。」

先生 「そうですね。日本語では使いませんからね。」

 

どんな外国語でも難しい発音は必ずあります(もちろん日本語ネイティブにとって、発音がやや簡単な言語から、非常に大変な言語まで差はありますが…)。

 

日本語以外の言語は日本語ネイティブが発音を習得する際に、今まで使ったことのない顔の筋肉の動かし方を覚えなければいけないというものが多いです。中国語やフランス語を習得した方はピンと来ると思いますが、日本語はあまり顔の筋肉を動かさない言語です。

 

では、逆に学習者に発音指導をする際に気をつけるポイントはなんでしょうか。そうです、「顔の筋肉を動かさないようにさせる(それでも勝手に動いてしまうのですが…)こと」です。

ですから、演劇の発声練習みたいな指導は逆効果になります。もちろん聞こえないような小さい声ではこまりますが、「ぼそぼそ」とした発音の方が「日本語らしい音」になります。

 

音声や発音指導法の授業などで発音指導の実際を学びます。

 

H.M.

教師の新たな気づきは学習者によってもたらされる

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カテゴリ:日本語教育

現在、中級後半の留学生クラスを受け持っています。

先日休み時間に質問されました。

 

学習者「先生、これ、鳴るっていう意味ですよね。」

私  「ん?」

 

教材の中に「今、ピンポーンって言わなかった?」という文が出てくるのですが、この「言う」の用法が引っかかったというわけです。

「言う」の原義は「思っていることをことばで表す」ですが、多義語なので、他に「名詞の後ろに『と』を伴ってつき、名前を示す」、「『という』という形で文末につき、伝聞表現になる」など、さまざまな用法があります。慣用表現で「学歴がものをいう」なんていうのもありましたね。

 

長年日本語教師をやっていると多義語の用法をそれぞれ整理して、必要なときに「頭の書庫」から引っ張り出してくるのですが、この項目は「未収録」でした。今回恥ずかしながら、初めて収録させてもらいました。

 

この学習者には「鳴る」を使ってもこの場合は問題ないが、日本語ネイティブとしては「鳴らなかった?」より「言わなかった?」の方が無意識で口から出やすいこと、「今、チャイムが言わなかった?」のように擬音語なしでは使えないことを伝えて1分程度で質疑応答の時間を終えました。

 

ことばの意味用法が増えていく過程を「意味の拡張」といいますが、何かしらの比喩がからんでいます。この「言う」はものの音をことばとして扱う過程で「言う」が「鳴る」の領域に入り込んだ(まあ、そもそも擬音語自体がものの音を言語音に擬しているのですから)のでしょう。

 

よく日本語教師が使っている文型辞典にはこの項目は収録されていませんでした。国語辞典を見てみますと辞林や明鏡にもこの項目はなく、広辞苑にはありました。

 

H.M.

行くの?来るの?帰るの?

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カテゴリ:日本語教育

はじめまして。これがブログの第一号の文章になるわけですね。H.M.です。
日本語教育の道にこれから進もうと考えていらっしゃる皆さんにできるだけ有用な情報をお伝えできるよう、がんばってまいります。

 

今回は基礎語彙を教える際の留意点についてエピソードを交えて紹介します。
日本語教師養成講座では、まず「初級の教え方」を習います。(「上級の教え方」を習った後で「初級の教え方」を習うことはありません。)入門期の学習者に教える項目の多くが基礎語彙です。

 

基礎語彙というのは使用頻度が高く、日常生活に必要で、他の言語でも同じようなことばがあり、長い歴史を通じて変化していないことばの集まりです。基本的な動詞もここに含まれますが、今日のエピソードは「行く」、「来る」、「帰る」です。

 

初級の学習者同士の会話を耳にしました。
学習者A「Bさん、私の家へ帰りませんか。」
学習者B「・・・?」
学習者C「それは『私の家へ行きませんか。』でしょ?」

 

AさんはBさんを「ウチに来ない?」と誘っているわけなのですが、ネイティブの自然な語感からすると「私の家へ来ませんか。」という表現になると考える方が多いのではないかと思います。どうして、このような選択ミスが生じるのでしょうか。

 

イメージでいうと「行く」は視界の前方の方に遠ざかるイメージで、「来る」は視界前方からこちらに向かって近づいてくるイメージですね。「帰る」は自分の家、国などに向かうということを入門期の学習者は教師に習います。

 

入門期の教科書の例文を見てみると以下のようなものが確認できます。
・昨日の午後スーパーへ行きました。
・電車で京都へ行きます。
・去年の9月に日本へ来ました。
・毎晩8時に家へ帰ります。

 

視点は「今、ここ」に限定されています。また、教科書は「日本国内にある教室」で使われることが前提になっているので、概ね「ここ=教室」の例文になっています。
入門期ではあまり膨大な情報を詰め込むのは無理であるし、非効率的なので、適当な情報量でよしとします。その情報量を超えたものは、もう少し上のレベルで適当な時期に教えるというスタンスを多くの教師が取っています。上記の例は「教科書の情報量を超えてしまった」例です。視点は「今、ここ」ではなく「自宅」にあるわけです。

 

このように基礎語彙の多くは「簡単そうに」見えますが、けっこう奥が深く、多義語(意味が複数あることば)も多いので、教える際に「今教える内容はここまでにとどめるが、この範囲を超えた用法もある」ということを意識して教えることが望ましいと思います。

 

私が日本語教師養成講座の受講者だったはるか昔、指導教師に言われたことばで締めくくりたいと思います。「日本人にとって簡単に見える日本語ほど、教えるのは難しい」。

 

H.M.

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