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せんせいのぶろぐ

平成27年度日本語教育能力検定試験が終わりました。

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カテゴリ:日本語教育

出題された問題を見ると、まず、文法など日本語ネイティブであれば理論を知らなくとも語感があれば答えられる問題の難易度が少し上がっています。わかりやすく言うと「分析して整理する」手順が必要な問題が増えたという印象です。

また「談話」についての出題が増しています。これはここ何年間かずっと続いている傾向で、ムーブ、フロア、隣接ペアといった用語もどんどん出てくるようになっています。

日本語教師仲間で話題になったのは試験1の問題14です。東南アジア諸国のうち、日本語学習者の多い、インドネシア、タイ、フィリピン、ベトナム、マレーシアの5か国の状況に関する問いが5題出題されているのですが、最後の問いが5か国のポップカルチャーに関するもので、正解はこれだと思うのですが、「インドネシアにAKB48関連グループ『JKT48』が結成されている。」まあ、マンガ、アニメ、アイドル等ポップカルチャーが日本語学習者増加の背景にあると認識していない受験者に対するショック問題なんでしょうね。

H.M.

文法の話4

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カテゴリ:日本語教育

これから日本語教師になろうという人のために書かれた文法書には前回までに述べたようなことが書かれています。

これをそのまま外国人学習者に伝えるのは難しすぎます。まして直接法の授業であれば、少なくとも中級以上でなければ理解できませんし、どのような授業の前後関係でこの項目を扱うかなどを考える必要があります。

私は基本的に以下のように扱っています。

学習者が宿題等で「は」と書くべきところを「が」と書いた、あるいはその反対であれば、赤で訂正を入れて返却します。その時に解説をしたり、質問を受けたりします。そういう時間を利用して、「は」と「が」の問題点すべてではなく、誤用を起こした項目に関わることのみを基本的に取り上げます。そうすれば、学習者の「なぜ」に答えることになり、モチベーションの高い状態で授業をきいてくれるということになるからです。

その時は専門用語を極力避け、状況をわかりやすく提示することが大切です。

 

ある時学生から質問がありました。教材の例文に「ドアの前にいる人はチンさんのお父さんです。」というのがあったのですが、「~人は~」と「~人が~」はどう違うかというものでした。まず、板書します。

     

  1. ドアの前にいる人はチンさんのお父さんです。
  2.  

  3. ドアの前にいる人がチンさんのお父さんです。

 

それから、学生たちに向かって質問します。「1と2が答えになる質問文を考えてみましょう。」

 

いろいろな答えが出てきます。正解はこれですね。

 

 Q1. ドアの前にいる人はだれですか?

 A1. ドアの前にいる人はチンさんのお父さんです。

 

 Q2. どの人がチンさんのお父さんですか?

 A2. ドアの前にいる人がチンさんのお父さんです。

 

H.M.

文法の話3

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カテゴリ:日本語教育

「は」は「主題を表す標識」です。主題にできるということは聞き手や読み手も知っているものでなければならず、相手が知らない固有名詞などにいきなりつけて、話を始めるということは基本的にできません。(一部小説などで、そういう始まり方をする唐突な導入部のものもありますが、一般的ではないです。)

疑問詞(「なに」、「だれ」、「いつ」等)につけられないのも同じ理由によります。格助詞のように名詞と述語との関係を示すものではないので、とりたてて述べたいことばであれば、名詞以外の品詞にも付きます。(「寒くない」、「ときどき起こる」等)

 

「が」は二種類あります。専門用語を使ってしまいますが、「中立叙述」と「総記」です。

典型的な中立叙述の用法は「今、ここ」で話し手がとらえた「新しい情報」です。

外に出て、「あ!雨降ってる!」。窓を開けて、「風冷たい!」というような使い方です。その他には従属節の中の主語など、「弟来たとき、私は記事を書いていた。」のような使い方です。

 

今、主語などと書きましたが、一部目的語にも「が」がつきます。一部の動詞(「わかる」、「できる」、「書ける」のような可能形)や形容動詞(「好き」、「嫌い」、「上手」、「下手」等)の目的語です。「ジョンさんは日本語わかる。」、「山田さんも日本酒好きだ。」のように。

 

さて、総記とさきほど書いた用法ですが、こちらはわかりやすく言うと「現在の文脈の上で出すべき答えを提示する」というものです。

 

「お客様の中で練馬からお越しの吉村様、いらっしゃいますか?」

「私吉村です。」

 

「どれいい?」

「これいい。」

 

今日はここまで。(また長くなってしまいました…)

 

H.M.

文法の話2

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カテゴリ:日本語教育

「は」と「が」とは何?

日本語教師でもやっていないと、こんなことは考えることもないでしょう。

「は」は副助詞(日本語教育では「とりたて助詞」という名称が参考書などで用いられることが多いです)、「が」は格助詞で、全く違うものなのですが、文の中で同じ位置に現れることが多いため、学習者の文にしばしば誤用が出現し、スポットライトが当たることになるわけです。

 

以下その例。

 

どれ答えですか。

あっ、雨降っていますよ。

経済の問題について私よくわかりません。

 

実は学習者の母語も誤用に関わってきます。

韓国語は日本語に近く、「は」と「が」に近いものがあるので(「は」相当のことばは対比の意味合いを持たないと使いにくいようです)、教師がこの文法事項を教えていなくても、誤用は目立ちません。しかし、英語や中国語はこれに相当することばがないので、誤用が目立ちやすく、「作文を書いたら、先生によく直されるけど、いったい何がどうなってるんだろ?」と思っている学習者も相当数おり、質問してくる場合もあります。

 

また、教材のタスクが誤用を引き起こす場合もあります。

 

下の   にことばを入れて文を完成させましょう。

 

私の国では                   が普通です。

 

学習者A:私の国では銀行が4時まで開いているのが普通です。

 

学習者B:私の国では外国人と付き合うのが普通です。

 

明らかにBさんの文は変ですよね。これは「~が普通です」を「~は普通です」と取り違えているのです。

Aさんは「私の国では何が普通なのか」と考えて、その答えを考えたのでしょう。しかしBさんは「私の国では~ことは普通である」の「~」の部分を考えて作成したのでしょう。

つまりBさんは「私の国では外国人とつきあうことはどうであるか」という問いに対して、「普通(珍しいことではない)です」と考えたというわけです。

今回はここまで。まだ続きます。

 

H.M.

文法の話1

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カテゴリ:日本語教育

日本語教師養成講座では様々なことを学びますが、「語学」という言葉から連想されやすいことばが「文法」ですね。日本語ネイティブは日本語教師にでもならないかぎり、生きていく上で、日本語文法など学ぶ機会はないでしょう。

母語というものは理屈を知らなくとも自動化されているので、基本的に文法を間違えることはありません。

 

しかし、外国人に教えるということになると、「分析して、ルールとしてまとめ、明示的に提示できるようにする」作業が必要です。

文法を教えるというのはこういう作業がついてまわります。そのために「日本語文法」を体系的に学ぶということになります。

 

ですから、文法を学んでおかないと「正しい」、「正しくない」ということは言えても、どこがどう間違っているのかというフィードバックができないということになります。

 

さて、日本語文法といっても様々な項目がありますが、解説を受けなくてもすぐ理解できる、あるいは日本語ネイティブであるということでわかる項目と、解説を聞いたり、読んだりしなければわかる人は稀という項目があります。

 

後者の例としては「は」と「が」の問題があります。(以下次回へ…)

 

H.M.

母語の干渉(マレー語2)

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カテゴリ:ことばの問題

マレー語母語話者が日本語学習の入門期に産出する誤用をもうひとつ取り上げてみたいと思います。

ちょっと専門的ですが、言語類型論などで使われる「側置詞」ということばがあります。これは主に、その名詞が動詞との関係の中で、どういう役割を持っているかを表示するもので、英語などでは名詞の前に置くので、「前置詞」といいます。日本語では格助詞(「が」、「を」、「に」、「で」など)が該当します。日本語などでは名詞の後ろに置くので、「後置詞」と呼びます。

マレー語はちなみに前置詞です。

 

Saya pergi ke sekolah.

私  行く  へ 学校

「ke」が日本語の「へ」に相当します。向かう場所をあらわしています。

 

さて、日本語では何かをする時の手段・道具を表すのは「で」です。

はさみで紙を切る。

バイクで会社に行く。

 

「いっしょに」ある行為をする人を表すのは「と」です。

友だちと海へ行く。

妻と映画を見る。

 

マレー語ではどちらも「dengan」で表します。

 

Saya makan nasi dengan sepit. (私は箸でごはんを食べる。)

Saya pergi bersama dengan kawan.(私は友だちと一緒に行く。)

 

そんなわけで、授業中にこんなことがありました。

「○○さんは何で学校へ来ますか。」のように、交通手段を言わせる練習をしていました。

「バイクで来ます。」とか「バスで来ます。」とか、答えてもらうわけです。ふと見ると、居眠り寸前の学習者がいたので、指名しました。

「○○さんは何で学校へ来ますか?」

彼はこう答えました。「わた、わた、私は友だちで学校へ来ます…….」

彼がだれかの背中に乗り、鞭を使って、こちらに近づいてくる光景を想像して、爆笑してしまいました。他の学習者も爆笑。彼だけが「は?」という表情で目をこすっていました。

 

H.M.

マレーシアのローカルフード(インド料理)

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カテゴリ:海外で

さて、マレーシアのローカルフード紹介、最後になりました。インド料理です。

 

シークの人なども住んでいますが、マレーシアに住んでいるインド系の人々で最多と思われるのがタミルの人々です。タミル人のふるさとはタミルナードゥ州。インドの南部にあって、州都はチェンナイ。

 

インドといえばカレーですね。タミルなど南部地域のカレーは見た目が赤い感じのものが多いです。カレーの具はタミルの人がヒンドゥー教徒ということもあって、ビーフはなく、チキン、マトンとなります。ちなみに昔私がいたころはクアラルンプールの中心地に「シラズ」というパキスタン系のカレー屋さんがあって(今でもあるのかな?)、ビーフカレーが食べたいときはそこに行っていました。(パキスタンのほとんどの人はイスラム教徒なので牛肉が食べられます)。また、肉以外の具ではフィッシュヘッドカレーが名物でした。かなり大きめの魚の頭が丸ごと出てきます。食べるのが面倒なので、あまり好きではないですけど。普通に皿でサーブするところもありますが、名物をウリにしているところではバナナの葉にご飯を盛ってサーブします。

 

あと海産物では海老や烏賊のカレーをよく食べました。ご存知の方も多いと思いますが、インドのカレーは日本のカレーのように、肉、にんじん、じゃがいも…のように複数の具をいっしょにするカレーは一般的ではありません。具は単品。野菜のカレーではオクラ(実はインド原産)のカレーが好きでした。

 

インドの南部は米食地域なのですが、軽食として食べる「ロティ・チャナイ」というチャパティーに近いパンもあります。カレーといっしょに食べたりします。

 

ロティチャナイを作っている男性

ロティチャナイを作っているインド系のおっちゃん

あと、紹介したいのが「カリー・パフ」、生地がパイっぽいのですが、日本のカレーパンのようなものです。飲み物では「テー・タレ」。ミルクティーを注いだコップを上から逆さまにして、もう一方の手に持ったコップで受けるというパフォーマンス付きの飲み物です。絶対にこぼしません。ちなみに「テー」は茶、「タレ」は引っ張るという意味です。パフォーマンスがミルクティーを「引っ張っている」ように見えるからです。

 

クアラルンプール駅

クアラルンプール駅

 

H.M.

母語の干渉(マレー語1)

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カテゴリ:ことばの問題

日本語教師養成講座でも学習者の誤用をとりあげる授業がありますが、マレー語母語話者の多くが日本語学習の入門期に産出する誤用を取り上げてみたいと思います。

まず、マレー語の語順に起因すると思われる誤用です。

日本語の語順は修飾語(形容詞や修飾名詞)の後ろに被修飾名詞という語順をとりますが、マレー語は逆になります。

 

Rumah besar (家)(大きい) 大きいうち

Bahasa Jepun (語)(日本) 日本語

Nama saya (名前)(私)  私の名前

 

というわけで、「田中先生」は「先生田中(guru Tanaka)」と呼ばれるかもしれません。

ちなみに小さいサイズのバスが町の中を走っていますが、車体には「bas mini」と書いてあります。

 

H.M.

マレーシアのローカルフード(中華料理)

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カテゴリ:海外で

さて、マレーシアの中華料理ですが、もちろん辛くないものもあります。地方別でいうと福建系のものが今思えば多かった気がします。甘さの出し方に特徴がありますね。後日(というか十数年後)福建省に仕事で赴いた折に、「ああ、こういう感じの味付けだったなあ」と感じました。

 

福建系の食べ物で、今でも無性に食べたくなるのが「ホッケン・ミー(福建式のやきそば)」ですね。うどんという感じの太くて、白い麺に黒いソースが絡んでいるのですが、何とも例えようのない味です。一度日本で高い金額払って食べましたが、いまいち・・・・

それから、小ぶりの牡蠣のオムレツ。これがねえ、ビールがどんどんイケちゃうんですな。

 

中華料理店に入ってメニューをみると、チリソースを使ったえびや蟹の料理が多かったですかね。近所の料理屋の店主(「キャプテン」って呼んでました)がいろいろと「今日はこういう材料が入ったから、食べてみない?」とか。いろいろ堪能しました。

 

蟹チリソースと格闘する人々

蟹チリソースと格闘する人々

 

フカひれのスープが結構安い値段で食べられるので、よく注文してました。

あと、するめを戻したのをチリソースで炒めた料理があって、これもよく頼んでました。

道端の屋台で食べる「どうでもいいラーメン」(ワンタンが入ってないのに、「ワンタン・ミン」と言う)もうまかったなあ。

 

ちなみに広東系の料理もありますが、香港でいろいろ食べた人間としては「なんか違う」という印象で、よく覚えていません。ちなみに広東系の人に香港で覚えた片言広東語を使うと、英語で「香港スタイルの広東語」と言われたっけかなあと。

 

中華料理編でした。

 

ダヤブミ 当時はペトロナスタワーはまだなかったので、これが一番高い建物でした

ダヤブミ 当時はペトロナスタワーはまだなかったので、これが一番高い建物でした

 

マレーシアの住宅地

中心部でもちょっと脇に入ると、こんな光景

H.M.

それはわるいことです

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カテゴリ:日本語教師のつぶやき

以前テストの話を書いたので、テスト関係のことでもう一つ。

日本語教師をやっていて、たまに、いかに自分が日本の社会、日本の文化、日本人としての文脈に規定されているか、気づくことがあります。

ここのところマレーシアにいたころのことを書いているので、思い出したのが定期テスト後のフィード・バックの時間。

二者択一、いわゆる○×式や、どちらかにマークをする問題がそのときのテストに出題されていて(二者択一の問題は信頼性が低いので、個人的には作りたくないですね。)、ほとんどマークしていない学習者が複数いました。

「急いでどちらか選べばよかったのに」と言ったところ、「どちらが正しいかわからなかったんです」という発言があり、「じゃあ、たぶんこっちだと思うものにマークすれば、1/2の確率で点取れるでしょ」と言ったら、「先生、それは悪いことです。正しい答えを知っている、間違って覚えている、わからないという三つが区別できなくなります。」と言われて、けっこう衝撃を受けました。

ゲームで得点するようにテストの点数をとらえていた自分の考え方は「間違っているのかもしれない」と、その他の学習者の「当然」という表情を見て、考え始めました。今から二十数年前、三十歳を目の前にして。

 

 学習者と懇談

クラス対抗サッカー試合が終わって、学習者といっしょに

H.M.

マレーシアのローカルフード(マレー料理)

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カテゴリ:海外で

マレーシアではマレー料理、中華料理、インド料理などがいわゆるローカル・フードですが、まずは、マレー料理について紹介しましょう。

 

基本的に主食は米です。インディカ米ですね。熱々のご飯は食べられないと思ってください。

これはインド料理も基本的に同じです。なぜ、熱いご飯がないのかというと、基本、手で食べるからです。一度インドの方のお宅に招かれまして、ナイフやフォーク、スプーンは用意していないとのことなので、手で食べてみて、初めてそのことに気づきました。私たちの口の中はけっこう逞しく、皮膚は弱いのです。熱々のスープを私たちは飲むことができますが、そのスープが手にかかったら、やけどをしますよね。

ですから、ご飯が炊きあがると、扇いで冷まします。カレーなどの煮物も、できてすぐは食べません。

 

おかず類は煮物、つまりカレー類が多いです。最近はインド式のカレー屋さんが多いので、インド式のカレーの味はみなさんご存知かと思いますが、マレー式のカレーは日本人には馴染みのない味が含まれています。多くのものは日本でいうところの「激辛」です。インド料理の辛さは「複雑な味の辛さがじわじわ」ですが、マレー料理の辛さは「シンプルな辛さがいきなりドーン」です。マレーの人はモスリムなので、牛、羊、鶏が使われます。そのほか烏賊の煮物もけっこう食べた記憶があります。また、鯵か鯖の素揚げを煮物に乗っけて食べる人も多かったです。野菜は日本人になじみがあるものや初めて見たものもありました。

 

朝ごはんや軽食としては、まず、「ナシ・ルマ」というココナッツミルクで炊いたご飯ですね。たいてい朝食として食べます。これ自体は辛くありません。小魚を揚げたもの(イカン・ビリス)、ピーナツ、きゅうり、サンバルというチリソースがつきます。

マレー式チャーハンは「ナシ・ゴレン」です。辛いです。「ゴレン」とは炒める等の意味です。焼きそばは「ミー・ゴレン」です。これも辛いですが、やみつきになりました。屋台ごとで微妙に味が違います。

 

マレーシアの屋台と猫

学校脇の屋台、よく昼食をここで食べてました。マレーシアのネコは小さいときから食べているので、激辛カレーも平気。

 

ずいぶん長くなっちゃいました。そのほかサテやアッサム・ラクサ等、紹介したいものがまだありますが、最後に紹介するものは「ローズ・ジュース」です。

モスリムはお酒を飲みませんから、パーティーなどでこれを飲みます。バラのにおいのするシロップを薄めたものですが、初めての人は面食らうと思いますよ。化粧品っぽいフレーバー全開ですから。しばらく経つと好きになっちゃう人もいるかもしれません。

 

ローズジュース

ローズジュース

 

日本語教師は味覚も「ワールド・ワイド」でいきましょう!

 

マレーシアの裁判所

裁判所

 

H.M.

テストの配点

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カテゴリ:日本語教師のつぶやき

このところ、あまりテストを作る機会がなかったのですが、先日久しぶりに作る機会がありました。日本語教師も先生業なので、テストを作らなければなりません。

これから日本語教育の道に進もうという方も評価法の授業でいろいろと評価に関わることがらを学ぶことになりますが、今日はちょっとした「テスト作りの知恵」について書いてみます。理論的なことは評価法の授業で学びますから、「生活の知恵」のような角度で。

 

実際に採点する時に「さあ、どうしよう」という時があります。テストには客観テストと主観テストというものがありますが、客観テストはその名のごとく、「だれが採点しても同じ」にならなければいけないのですが、実際そうならないテストがあります。

それは配点の問題です。

一番楽なものは配点1点の以下のようなものです。

 

( )の中の正しいものに○をつけてください。

はし(に・で・と)ごはんを食べます。

 

これは「で」以外なら得点になりませんね。

困るのは次のようなものです。

 

( )中に適当な動詞を入れてください。

はさみで紙を(   )てください。

 

正解は(切っ)ですね。これが配点1点なら、記入なしはもちろん(切)も不正解ですが、3点なんかの場合は困ります。完全解答以外認めないというのは記入なしと(切)が同じく0点になりますが、この評価は妥当だとは言いにくいですよね。さっぱりわからない者と促音を書き損じた者が同じ評価だというのは賛成できません。

では、完全解答は3点、記入なしは0点だとして、不完全解答を2点にするか、1点にするか、基準を考えるのが大変ということになります。実際こういうテストを公平に採点することになると、時間がどんどん過ぎてしまいます。不完全解答も(切)のほかに、(切り)もあれば、(ぎっ)もあれば、ちゃんと促音を入れているのに漢字が少しちがっているなんてのもあります。

 

かつて恩師の一人が「だから、こういうテストは配点2点までにしなさい。」とおっしゃいました。完全解答2点、不完全解答は全て1点、まったく違う動詞あるいは記入なしは0点とシンプルです。

 

H.M.

からいもの2

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カテゴリ:海外で

今日はマレーシアで遭遇した「事故」について書きます。

 

マレー料理のスタイルで、ポピュラーなものに「ナシ・チャンプル(ナシは米、チャンプルは混ぜるという意味。沖縄方言のチャンプルと同じ意味ですね)」というものがあります。

まず、皿に白米(インディカ米ですね)を盛ってもらい、バイキング・スタイルでほしい料理を上にのっけて、食べる前に料金を支払うスタイルです。

マレーの人の多くはインドの人のように、手で食べます。それで、テーブルの上には手を洗う水差しなどが乗っています。われわれ外国人はたいていスプーンとフォークで食べます。スプーンは時にナイフの役割もします。

 

僕がマレーシアに馴染んだころ、ナシ・チャンプルの店で、料理が50種類の店があるというので、ローカルの教師と日本人の教師数名で出かけました。

いろいろ回ってみると、獅子唐か大きな豆のように見える具のカレーがあったので、皿にのせました。テーブルについてそれを齧ったあと口の中が「大火災」に見舞われました。

どのぐらい辛いかというと、しゃべれない、涙と鼻水が止まらない、頭の中が白くなって思考ができない、そのうち呼吸が乱れると、まあ、すごい状態ですね。

しばらく下向いて、ハアハア言ってたら、ローカルの先生が異変に気づいて、「どうしたんですか?」と訊くので「ホレオハヘハシタ(これを食べました)」と、ひーこら答えました。

すると、「大変!」と言って店の人に何かを持って来させました。

何だと思います?

砂糖壷です!とにかく砂糖を口の中に塗りつけろというので、そうしたら、「苦しみ」が徐々に治まって、普通に話せるようになりました。こんな時に水を飲むと更に辛さに苦しむことになります。って、この事件があったから、わかったのですが…

 

あとで聞きましたが、その獅子唐のようなものは「食べるもの」ではなく、辛さをつけるために料理といっしょに煮込む特別の唐辛子だということで、僕がその料理の前に立ったときにはすでに料理は「全部持って行かれた後」だったというわけです。

「たまには見回って、チェックしてくれよ」というのはマレー人ののんびり気質を思うと無理な注文かもしれませんねえ。

 

これから日本語教師になろうという方で海外志向の方、深刻な事態はもちろん解消しなければなりませんが、小さなトラブルは「楽しんでしまおう」ぐらいの気持ちでいた方がいいと個人的には思います。

動かすか、動かさないか

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カテゴリ:日本語教育

赤門会日本語学校日本語教師養成講座420時間コースには選択科目というカテゴリーがあって、30時限以上の履修が義務付けられています。どんな科目があるかといいますと、日本の伝統文化に関わるもの、イベント参加、また外国語入門などがあります。外国語入門で今まで扱ってきたのは中国語、韓国語、ベトナム語、トルコ語、ロシア語です。この他にも開講可能となれば、さまざまな言語を紹介していきたいと思います。

外国語入門を開講する目的は二つあります。ひとつは「入り口程度でかまわない」から、受講者にさまざまな言語に触れてもらい、言語の多様さを実感してもらうこと。もう一つは「学習者の立場に身を置く」ことにより、学習者からみた日本語習得の実際(つまり、大変さですね)を仮体験してもらうことです。

 

先日受講者と中国語担当の先生のやりとりが耳に入ってきました。

受講者「巻き舌の音がなかなかできません。」

先生 「そうですね。日本語では使いませんからね。」

 

どんな外国語でも難しい発音は必ずあります(もちろん日本語ネイティブにとって、発音がやや簡単な言語から、非常に大変な言語まで差はありますが…)。

 

日本語以外の言語は日本語ネイティブが発音を習得する際に、今まで使ったことのない顔の筋肉の動かし方を覚えなければいけないというものが多いです。中国語やフランス語を習得した方はピンと来ると思いますが、日本語はあまり顔の筋肉を動かさない言語です。

 

では、逆に学習者に発音指導をする際に気をつけるポイントはなんでしょうか。そうです、「顔の筋肉を動かさないようにさせる(それでも勝手に動いてしまうのですが…)こと」です。

ですから、演劇の発声練習みたいな指導は逆効果になります。もちろん聞こえないような小さい声ではこまりますが、「ぼそぼそ」とした発音の方が「日本語らしい音」になります。

 

音声や発音指導法の授業などで発音指導の実際を学びます。

 

H.M.

からいもの1

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カテゴリ:海外で

もう30年近く前になりますが、マレーシアで日本語を教えていました。今日はちょっと日本語教育とは離れますが、「たべものの話」です。

日本語教師をやっていると「味覚がワールドワイド」になってしまうと言う日本語教師は多いと思います。海外で仕事をすれば、その国の味に染まり、日本国内であっても、学生たちはいろいろな食べ物を持ってきます。

 

マレーシア(クアラルンプール)に赴任したばかりのころ、「なんか予想してたけど、辛いものが多いな」と感じました。マレー料理、中華料理、インド料理、ステーキやピザも食べられるし、たまには日本料理。マレーシアは「食」の楽しみがいろいろあります。

 

中華料理のレストランでまずビールを注文すると、小皿をいっしょに持ってきました。酢に浸した小さな唐辛子が乗っています。ビールを飲みながら口に運ぶと、「うひ!」。小さな唐辛子の半分をかじっただけで、ビールを三口ぐらい含まないと大変です。

これ、「チリ・パディ」というもので、料理のアクセント付けに使いますが、「つまみにする」という猛者までいます。

僕も赴任後一月もすると、「猛者」になってしまいました。料理が運ばれて来るまでに、ビールを飲みながらチリ・パディの「おかわりをする」ようになってしまいました。

 

H.M.

教師の新たな気づきは学習者によってもたらされる

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カテゴリ:日本語教育

現在、中級後半の留学生クラスを受け持っています。

先日休み時間に質問されました。

 

学習者「先生、これ、鳴るっていう意味ですよね。」

私  「ん?」

 

教材の中に「今、ピンポーンって言わなかった?」という文が出てくるのですが、この「言う」の用法が引っかかったというわけです。

「言う」の原義は「思っていることをことばで表す」ですが、多義語なので、他に「名詞の後ろに『と』を伴ってつき、名前を示す」、「『という』という形で文末につき、伝聞表現になる」など、さまざまな用法があります。慣用表現で「学歴がものをいう」なんていうのもありましたね。

 

長年日本語教師をやっていると多義語の用法をそれぞれ整理して、必要なときに「頭の書庫」から引っ張り出してくるのですが、この項目は「未収録」でした。今回恥ずかしながら、初めて収録させてもらいました。

 

この学習者には「鳴る」を使ってもこの場合は問題ないが、日本語ネイティブとしては「鳴らなかった?」より「言わなかった?」の方が無意識で口から出やすいこと、「今、チャイムが言わなかった?」のように擬音語なしでは使えないことを伝えて1分程度で質疑応答の時間を終えました。

 

ことばの意味用法が増えていく過程を「意味の拡張」といいますが、何かしらの比喩がからんでいます。この「言う」はものの音をことばとして扱う過程で「言う」が「鳴る」の領域に入り込んだ(まあ、そもそも擬音語自体がものの音を言語音に擬しているのですから)のでしょう。

 

よく日本語教師が使っている文型辞典にはこの項目は収録されていませんでした。国語辞典を見てみますと辞林や明鏡にもこの項目はなく、広辞苑にはありました。

 

H.M.

アクセントとイントネーション

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カテゴリ:ことばの問題

日本語教師を目指す人の大部分は日本語教師養成講座に入って、初めて音声学を学ぶのではないでしょうか。私もそうでした。

音声学を学ぶ際にちょっとひっかかる単語が「アクセント」と「イントネーション」です。

 

多くの日本人が「言語」というものを「明示的に意識する」のは英語を初めて学んだ時ではないでしょうか。その時、私たちは「アクセント」という単語に出会います。英語はご存知のように強弱アクセントですね。desert(砂漠)は頭を強く発音し、dessert(デザート)は後ろの方を強く発音するといったように。

 

音声学の用語で、「単語を区別する」ものをアクセントと言います。大多数の日本人はこのとき「強く発音すること=アクセント」と頭の「辞書」に入れます。英語は「強弱アクセント」の言語なので、これはこれで問題はないのです。(音声学とは関係なく、一般的な英語の言い方で、方言特有の音声的特徴の総体のこともaccentと言いますね。Australian Accentのように。)

 

さて、日本語教育の道に進もうと、養成講座に入り、音声学の授業で「日本語のアクセント」という言葉を聞いて、混乱する人は少数ではありません。「箸と橋はアクセントが違いますね」という言葉を聞いて「え?それってイントネーションでしょ?」と思うようです。「アクセントは音の強さで、音程の違いはイントネーションでしょ?」ということですね。そこで、先生が「日本語のアクセントは高低アクセントです。」というと「じゃ、イントネーションって何?」となります。

 

音声学で使っている「アクセント」という言葉の定義は「単語を区別するもの」です。英語のように「強弱アクセント」の言語も、日本語のように「高低アクセント」の言語もあります。

 

では「イントネーション」とは何でしょう。「単語レベルを超えた文などの全体に現れる音調で、話し手の聞き手に向けた態度表明の役割を持つもの」です。

「そうでしょう」と語尾を下降させると、「推量」。語尾を緩やかに上昇させると、「確認」。

「しょ」から急激にかなり高く発音すると「非難」になったりします。

 

今回はここまで。

 

H.M.

行くの?来るの?帰るの?

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カテゴリ:日本語教育

はじめまして。これがブログの第一号の文章になるわけですね。H.M.です。
日本語教育の道にこれから進もうと考えていらっしゃる皆さんにできるだけ有用な情報をお伝えできるよう、がんばってまいります。

 

今回は基礎語彙を教える際の留意点についてエピソードを交えて紹介します。
日本語教師養成講座では、まず「初級の教え方」を習います。(「上級の教え方」を習った後で「初級の教え方」を習うことはありません。)入門期の学習者に教える項目の多くが基礎語彙です。

 

基礎語彙というのは使用頻度が高く、日常生活に必要で、他の言語でも同じようなことばがあり、長い歴史を通じて変化していないことばの集まりです。基本的な動詞もここに含まれますが、今日のエピソードは「行く」、「来る」、「帰る」です。

 

初級の学習者同士の会話を耳にしました。
学習者A「Bさん、私の家へ帰りませんか。」
学習者B「・・・?」
学習者C「それは『私の家へ行きませんか。』でしょ?」

 

AさんはBさんを「ウチに来ない?」と誘っているわけなのですが、ネイティブの自然な語感からすると「私の家へ来ませんか。」という表現になると考える方が多いのではないかと思います。どうして、このような選択ミスが生じるのでしょうか。

 

イメージでいうと「行く」は視界の前方の方に遠ざかるイメージで、「来る」は視界前方からこちらに向かって近づいてくるイメージですね。「帰る」は自分の家、国などに向かうということを入門期の学習者は教師に習います。

 

入門期の教科書の例文を見てみると以下のようなものが確認できます。
・昨日の午後スーパーへ行きました。
・電車で京都へ行きます。
・去年の9月に日本へ来ました。
・毎晩8時に家へ帰ります。

 

視点は「今、ここ」に限定されています。また、教科書は「日本国内にある教室」で使われることが前提になっているので、概ね「ここ=教室」の例文になっています。
入門期ではあまり膨大な情報を詰め込むのは無理であるし、非効率的なので、適当な情報量でよしとします。その情報量を超えたものは、もう少し上のレベルで適当な時期に教えるというスタンスを多くの教師が取っています。上記の例は「教科書の情報量を超えてしまった」例です。視点は「今、ここ」ではなく「自宅」にあるわけです。

 

このように基礎語彙の多くは「簡単そうに」見えますが、けっこう奥が深く、多義語(意味が複数あることば)も多いので、教える際に「今教える内容はここまでにとどめるが、この範囲を超えた用法もある」ということを意識して教えることが望ましいと思います。

 

私が日本語教師養成講座の受講者だったはるか昔、指導教師に言われたことばで締めくくりたいと思います。「日本人にとって簡単に見える日本語ほど、教えるのは難しい」。

 

H.M.

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